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ひな祭り、青い目の人形とひな人形が仲よく、いっしょに飾られています。
95年前の奇跡のお人形の物語 日米500万人の人たちの“親善のおもい”が花開く。
シャロンちゃんは今も“日米親善のお使い役”を続けています。

 戸倉体験研修センター(旧戸倉小学校)では、ひな祭りにちなんで、地域に古くから伝わる「ひな人形」(昭和30年代のもの)や豪華な御殿飾りを展示いたします。あわせて、95年前(昭和2年/1927年)に米国から贈られた青い目の人形もいっしょに特別展示いたします。「ひな人形」と「青い目の人形」が仲よく飾られることは、95年前に日米間で行われた人形交流による親善計画に参画した日米500万人以上の人たちの“親善のおもい”が花開きます。
1920年代(大正末から昭和初頭)、米国は不況下にあり、米国での日本人移民者、約12万人に対して排斥運動が起こりました。この日米関係悪化の状況に心を痛め、関係改善を願っていた米国人がおりました。シドニー・ルイス・ギューリック氏を中心とした団体です。彼は現状の日米関係は悪化の状況にあるけれども、国際交流は子どもの時から、日米の子供たちは仲よくしてほしいとの“親善のおもい”を込め、日本へ人形を贈る親善計画を発案し全米へ呼び掛けました。その結果、約12,000体の親善の人形が全米各所より集められ日本へ贈られました。この米国からの親善の人形たちが「青い目の人形」(友情の人形)と呼ばれている人形たちです。青い目の人形は米国から“日米親善のお使い役”を託された人形たちです。この青い目の人形の贈り物に対して、日本からは、ギューリック氏と交流のあった実業家の渋沢栄一氏が中心となり、返礼として日本人形(答礼人形)58体が米国へ贈られました。
旧戸倉小学校にも青い目の人形1体が贈られました。“シャロンちゃん”(ドイツ製、ビスクドール人形)です。そうした当初の親善の動きに反して、悲しいことですが、その後、日米は戦争に投入(太平洋戦争1941~1945年)。青い目の人形は敵国の象徴として、ほとんどこわされてしまいました。戦争をくぐり抜け現在も残っている青い目の人形は日本全国で約300体のみです。長い旅路と戦争の時代を越えて現存する“シャロンちゃん”は奇跡のお人形です。
ギューリック氏は、約30年間、宣教師や教員として日本で過ごし、この親善計画の発案当時は米国に帰国しておりました。約30年間を日本で過ごしましたので、日本の風俗、習慣をよく理解している親日家でした。
青い目の人形に添えられたギューリック氏の手紙には、日本ではひな祭りにひな人形を飾る習慣があり、日米友好の親善の象徴として「青い目の人形」が「ひな人形」といっしょに飾られることを願っているとの文面が書かれています。
日米間は平和な時代が続いています。今、この場所では、青い目の人形“シャロンちゃん”とひな人形がいっしょに飾られています。悲しい戦争の時代を経ましたが、95年前の日米500万人の人たちの“親善のおもい”が花開いています。シャロンちゃんは今も当センターで“日米親善のお使い役”を続けています。
どうぞこの機会に奇跡のお人形をご覧いただければと存じます。

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